第10回

人が育む阿蘇の地下水

吉良 清一
南阿蘇村長
白川水源
白川水源

2022年10月3日

私の住む南阿蘇村のキャッチフレーズは“水の生まれる郷”、村で一番有名な「白川水源」は昭和の名水百選に、またそれ以外の10カ所の水源は「南阿蘇村湧水群」として平成の名水百選に選ばれています。わが家の田んぼからも水が湧いていて、幼い頃から水が湧くのは当たり前、「どうしてこんなに多いんだろう」など、考えたこともありませんでした。
妻は大阪育ち、嫁いできた時の「水がおいしい」の言葉に私は「水に味があるのか」と首をかしげ、「星ってこんなに多かったの」と驚いたことに驚くといったありさまでした。そんな妻と、無農薬のコメづくりを始めました。6次産業化の先駆けとして苦労はありましたが、産直も順調に進み、農家として「国土の保全と食料の供給」を自負し、汗を流す日々でした。
しかし、年を重ねるうちに私を取り巻く環境は「当たり前ではない」と感じるようになりました。この湧き水があるからこそ無農薬栽培が容易で、植物が育ち人々が生きていけるのだと。そして、湧き水が多い理由も考えるようになりました。それまで“水田の能力”は理解していたのですが、意外だったのは“草原の水源涵養力”でした。
一般的に「森が水を育む」と言われますが阿蘇は例外。普段の雨の時、木の下では濡れません。葉や枝が雨をさえぎるからです。その分地中に浸み込む量が少なくなります。一方草原は、雨水が地面に届きやすく浸み込む量も多くなります。また、根から吸い上げる水の量は、草原の方がはるかに少ないのです。つまり阿蘇では「水を育むのは森ではなく草原」であり、もし草原ではなく森だったらこんなに多くの湧き水はなかったでしょう。
ところで、近年「水田や草原の減少が影響して地下水が減っている」との研究成果が報告されています。水田や草原は放置するとヤブ化し、いずれは森となります。湧き水をこれ以上減らさないためにも水田や草原を守らねば、と肝に銘じています。

吉良 清一 きら・せいいち

吉良 清一

きら・せいいち

南阿蘇村長。昭和30年5月24日生まれ。昭和49年熊本県立第二高等学校卒業後、大阪府立大学農学部に進学、昭和54年卒業。昭和57年に就農、施設園芸と米の産直(六次産業化)に取り組む。平成15年旧白水村議選当選、その後、平成17、21、25年の3度にわたり、南阿蘇村長選に落選するも、平成29年に初当選を果たす。令和 3年に再選、現在に至る。趣味はDIY、ペット飼育(魚・鳥など)、海釣り、ギター。座右の銘は「実るほど頭を下げる稲穂かな」。

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