第7回

生命の「動的平衡」と水

福岡伸一
生物学者

2022年9月12日

人間の身体の約70%は水でできている。水は生命にとって欠かせない物質である。なぜ水が必須なのか。それを見てみよう。水は身体の中にじっと溜まっているのではない。いつも動いている。絶えず流れている。そこに意味がある。
太い動脈を走る強い流れは枝別れして分流し、やがて全身の微小な毛細血管網となって、棚田のように並ぶ一つひとつの細胞を柔らかく灌漑する。細胞は、この流れから酸素と栄養素を受け取る。と、同時に、流れは細胞から二酸化炭素や老廃物を回収してくれる。全身の細胞から集まったこの流れは、ある場所に向かって進む。そこで水は浄化される。
生物に備わっているこの浄化システムは、実に精妙精巧にできている。家庭にある浄水器など全く及びもつかない。生物の浄化システムは、いったん水をまるごと捨ててしまう。その後、イオンや栄養素などの必要な成分と、きれいな水だけを再回収して、残りの要らない部分だけを排泄する。だから活性炭やフィルターを交換することもなく、メインテナンスフリーで何十年もの間働き続ける。この浄化システムの名は腎臓である。腰骨から10cmほど上の、背中側の左右にひとつずつある。そっと触れてみよう。ほら、今もひそやかに、しかし一生懸命働いてくれている。
体重40kgのヒトの身体に含まれる水分は30ℓほどだが、腎臓は1日になんと1700ℓもの水を処理している。つまり、身体の中の水は、1700÷30=56.66回も繰り返し、腎臓を通過して浄化される。それだけ全身の細胞が絶え間なく新陳代謝を行っているということ。だからこそ、私たちが健康でいるためには、この絶え間ない流れを維持すること、つまり良質の水を十分に摂取することが何よりも大切になる。
身体の外にも視点を広げる必要がある。私たちの身体から排泄された水はどこへ行くのだろう。汗や呼気は大気中に拡散し、植物に吸収され循環される。その他の排泄物は下水道を通して処理場に行き、そこで微生物の力を借りて分解され、これまた自然の循環に戻る。このように相互に支え合う関係を生命の「動的平衡」と呼ぶ。私たちの身体の内部も、そして外部も、全て動的平衡にある。動的平衡の流れを支えているのが水なのである。

福岡 伸一 ふくおか・しんいち

福岡 伸一

ふくおか・しんいち

生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て青山学院大学教授・米国ロックフェラー大学客員教授。大阪・関西万博(EXPO 2025)テーマ事業「いのちを知る」プロデューサー。サントリー学芸賞を受賞し、87万部を超えるベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)など、“生命とは何か”を動的平衡論から問い直した著作を数多く発表。ほかに『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)、『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ナチュラリスト――生命を愛でる人』(新潮社)、『迷走生活の方法』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『福岡伸一、西田哲学を読む―生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一』(明石書店)など。対談集に『動的平衡ダイアローグ』(木楽舎)『センス・オブ・ワンダーを探して』(だいわ文庫)、翻訳に『ドリトル先生航海記』(新潮社)『生命に部分はない』(講談社現代新書)『ダーヴィンの「種の起源」 はじめての進化論』(岩波書店)などがある。近刊に『生命海流GALAPAGOS』(朝日出版)、『ゆく川の流れは、動的平衡』(朝日新聞出版)、『新ドリトル先生物語 ドリトル先生ガラパゴスを救う』(朝日新聞出版)。
また、大のフェルメール好きとしても知られ、世界中に散らばるフェルメールの全作品を巡った旅の紀行『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、さらに最新刊として『フェルメール 隠された次元』(木楽舎)を上梓。最新のデジタル印刷技術によってリ・クリエイト(再創造)したフェルメール全作品を展示する「フェルメール・センター銀座」の監修および、館長も務めた。
2015年11月からは、読書のあり方を問い直す「福岡伸一の知恵の学校」をスタートさせ、校長を務めている。

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