2025年7月1日
「完全養殖」とは天然採捕した幼魚(ヨコワ)を親魚まで育成し、産卵した卵を人工ふ化して親魚まで育成、その親魚が産卵すれば、人為管理環境下で彼らの生活史が一巡することをいう。
研究は1970年から黒潮が接岸する南紀串本大島を基地とした。クロマグロは皮膚が脆弱で光や音にも敏感で、酸素の要求量が極めて高く、濁水に弱く常に新鮮な海水を必要とする。そのため正常に生け簀に飼い付けるのに4年、生け簀内で世界初となる産卵までに5年を要した。
受精卵を人工ふ化、飼育する段階で途中産卵が途絶えることなどもあったが、1994年の産卵群が1カ月後に全長7cm前後の稚魚に成長、1872尾を海上の生け簀に移す「沖出し」に初めて成功した。ここに至るまでにはふ化後1週間以内に起こる浮上死や沈降死、20日前後に起こる独特な激しい共喰いや衝突死など大きな問題点に遭遇した。
浮上死では表層に油膜を張り空気と遮断すること、沈降死ではエアレーションで水流の調節、共喰いでは「共」を他魚種のふ化仔魚に置き換えること、また衝突死では遊泳空間が狭いこと、暗所視の能力が極めて低いことなどを突き止め、生け簀の拡大や夜間照明により解決した。
産卵、ふ化、飼育に至る各ステージにおける適水温範囲の模索、策定は重要要素の一つであった。その結果、1995年生群が2000年に、1996年生群が2001年にそれぞれ成熟年齢の5歳に達したが、いずれも産卵が認められず、しかも2001年8月には台風の豪雨で近くのダムの緊急放水のため、湾内に濁水が流入して透明度、比重が極端に悪化した。
生存確認のため所員が潜水したところ「全滅です」の悲嘆の声、その後すぐに「数尾見えています」の絶叫、全滅の危機に直面しながらも奇跡的に前者が6尾(体重110~15kg)、後者が14尾(体重70~120kg)が生き延びてくれた。しかし、あまりにも少数で生殖には雌雄いずれかに偏っている懸念から両者を同じ生け簀に収容して20尾にしたところ、2002年6月23日待望の産卵が認められた。
苦節32年の労苦が実を結び、「世界初クロマグロの完全養殖」達成に所員一同歓喜に沸いた。これにより養殖用種苗(ヨコワ)の安定的生産が可能となりクロマグロの養殖産業が計画的かつ持続的に展開することが可能となった。

熊井 英水
くまい・ひでみ1935年長野県生まれ。農学博士。広島大学水畜産学部卒業後、近畿大学水産研究所に入所、約半世紀にわたり一貫してハマチ、ヒラメ、マダイ、カンパチ、シマアジなど有用海産魚の人工ふ化、飼育、完全養殖の研究に没頭。世界初クロマグロの完全養殖を主導した。近畿大学大学院農学研究科教授、水産研究所長など歴任し、現在は近畿大学名誉教授、日本水産学会名誉会員、日本水産増殖学会名誉会員。その功績が認められ、日本水産学会技術賞、日本水産学会功績賞、日本水産増殖学会賞、日本農学賞、瑞宝中綬章などを受賞。主な著書に「最新海産魚の養殖」(編著)、「水産増養殖シリーズ海産魚」(編著)、「クロマグロの完全養殖」(編著)、「究極のクロマグロ完全養殖物語」などがある。