連載 水を伝える

日本水道新聞社は2024年で創業70周年を迎えました。本連載では、約70年間にわたる当社の報道について、日本水道新聞、日本下水道新聞の過去の紙面を通じて、印象的な出来事を回顧していきます。70周年という節目を迎えるに当たり、創刊号からこれまでの紙面を振り返ることで、読者の皆さまに当社の報道を通じた上下水道史を伝えるとともに、われわれも歴史の教訓から学び、次の10年に向けて、新たな一歩を踏み出すきっかけとしたいと考えています。

第8回 下水道総理はどうか ご意見番-隆元が田村氏と対談

昭和51年_01月01日 日本下水道新聞_第0342号
昭和51年_01月12日 日本下水道新聞_第0343号
昭和51年_01月19日 日本下水道新聞_第0344号
昭和51年_01月26日 日本下水道新聞_第0345号
昭和51年_02月02日 日本下水道新聞_第0346号

2022年10月14日

下水道事業推進に献身的に支援したのは生活環境議員連盟会長、下水道議員連盟会長を歴任、衆院議長まで務めた田村元衆議院議員でした。

下水道促進全国大会、下水道促進婦人会議でのあいさつはもちろん、政府の予算案編成時期に精力的な働きをしたことは、多くの下水道関係者の知るところでありましたが、日本下水道新聞では、当時のテレビなどで「政治のご意見番」として評判高かった細川隆元氏との対談を昭和51年1月1日号から数回にわたって連載しました。

田村 下水道とは関係ありませんが、私は厚生省にやかましくいっていることがひとつあるのです。それは、四国へ橋を三つ架けるのなら、そのうちのひとつ分でもガン撲滅対策研究費に回わしなさい。(中略)とね。
細川 まったくその通り。橋をどうして三つ架けなければいかんのか・・・、バカだよ。
田村 (中略)橋もいりますがね。
細川 もっと基本的なものができた上に、つまり、下水道とか小さな県道が整備された上であんなものができればよいわけだ。私はそういう評論をやっている。こりゃあ、あなたと意見が一致しているね。 公共事業のぶんどり・・・、 下水道は大いにやって下さいよ。
田村 大いにがんばるつもりですが・・・。
細川 大平(大蔵大臣) はみみっちい。天下は望めないよ。 田中角栄が押したって総スカンですよ。(中略)まあいいよ。(中略)あなたも、 下水道を手放さずに、少しうんうん、どうだ・・・「下水道総理なんかどうだ」などの冗談くらいいいなさいよ。
田村 〝うんに天″がありますかな。
細川 (中略)下水道に花が咲く・・・。 下水道は決して「うんこ」の処理だけではない。下水道に日本の花が咲く…という時代にならなければウソ。
田村 そうですね。私は政治家というものは、何かひとつ生涯を通じて取組んでいくものがあっていいと思う。
細川 業界のために代弁するだけでなく、ほんとうに広い立場から、「俺は、これでいく」――という旗印がほしい。(中略)ところで、失礼ですが田村さんはいくつですか。
田村 今、五十一才です。
細川 私は四十一歳で代議士になって五十一歳でやめた。その当時は元気がよかったよ。戦争直後で・・・。五十一才の年は、元気で何でもこいですよ。飲まず食わずでも――いくぞ!!・・・と。
田村 私は、代議士になったのが早かったのですよ。三十歳。
細川 そうそう、あなた早かった。
(原文ママ)

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