わが国の長期渇水記録は、昭和53年福岡市の287日でしたが、沖縄県企業局が昭和56年7月10日の夜間10時間断水に突入して以来、隔日20時間給水(28時間断水)を含む厳しい給水制限を強いられていました。57年5月28日~6月3日にかけて沖縄本島全域にわたり、約200mmの集中降雨があり、ダムの貯水量が回復、6月7日正午、332日ぶりに正常給水に戻りました。その様子は昭和57年6月10日の日本水道新聞において、トップ記事として次のように報道されています。
三百日を超える記録的な給水体制を実施していた沖縄県企業局は五日の沖縄渇水対策連絡協議会(国、県、市、気象台で構成)の制限解除の決定をうけ、七日正午をもって給水制限を解除した。これは五月の降雨量が順調に伸びたことと、五月末から六月にかけて本島全域に平均二百㍉の集中した降雨があり、水源のダムが急速に回復したため。
七日午前〇時時点の水源状況は県管理の三ダム(端慶山、天願、金武)合計が三百九十八万二千立方㍍で満水時(四百二十万六千立方㍍)の九四・七%、国管理の福地ダムが三千十八万九千立方㍍で満水時(三千九百万立方㍍)の七七・四%となっており、その大宗を占める福地ダムが七〇%を超えたのは昨年六月以来のこと。また、県企業局が取水している七河川でも三月までの集中降雨で流量が大幅に回復、一時は十万立方㍍/日までに落ち込んでいた取水量も十八万立方㍍まで取水可能となっており、ダムの貯水量回復と合わせて制限解除の要因となった。
(中略)約十一ヵ月ぶりの全面解除で関係者はもとより県民も「ホット一息」。とはいえ、平年通りでいけば二十日すぎには梅雨が開け、水の需要の最盛期を迎えることから「六月、七月は全面給水を続けられるが、八月以降は分からない。もう少し降ってくれれば……」(県企業局配水管理課)と不安感を完全にぬぐえないのが実状。