連載 水を伝える

日本水道新聞社は2024年で創業70周年を迎えました。本連載では、約70年間にわたる当社の報道について、日本水道新聞、日本下水道新聞の過去の紙面を通じて、印象的な出来事を回顧していきます。70周年という節目を迎えるに当たり、創刊号からこれまでの紙面を振り返ることで、読者の皆さまに当社の報道を通じた上下水道史を伝えるとともに、われわれも歴史の教訓から学び、次の10年に向けて、新たな一歩を踏み出すきっかけとしたいと考えています。

第27回 水道環境部の発足 新水道行政に期待

昭和49年_04月18日 日本水道新聞_第1521号

2023年7月14日

水道環境部は、平成12年の中央省庁の再編成で廃止されましたが、昭和49年4月15日の誕生以来26年間、その後の水道事業発展に大いに活躍してきました。発足の経緯について、昭和49年4月18日付の日本水道新聞では、次のように報じています。

厚生省の水道環境部は十五日、新水道行政の積極推進という期待を担って発足した。水道環境部は水道整備課、環境整備課と新設の計画課による一部三課の体制で、初代部長(計画課長兼務)に福田勉環境衛生局審議官、また、水道整備課長には国川建二水道課長が就任。 これまでの水道行政は、水道一課ということから、積極的な諸活動の要請に十分対処できえぬ状態もままあった。しかし、水道環境部の発足を機に、これからは、①新生水道環境部として名実ともに実力ある水道行政体制を指向すること、②現行水道法を全面的に見直し、新水道法を制定すること、③新水道法に基づく水道整備五ヵ年計画等の長期計画を策定し実行することに期待がかけられることになるわけである。
新生水道環境部にまず求められることは、水道未来像答申でもいうナショナル・ミニマムとしての水道――いいかえれば新水道行政に対しての実力を発揮することであり、それが、ひいては、ナショナル・ミニマムとしての水道を実現することにつながってくるわけで水道環境部設置による新水道行政に対する期待は、大きいものがある。(原文ママ)

【水道環境部発足の経緯】水道環境部の設置は、四十八年度予算措置で内定をみたわけである。この背景は、いうまでもなく水道界の、〝水道行政の転換・拡充〟要請の機が熟し、その一つに厚生省に〝水道部を設置せよ〟との動きが活発化したこと。厚生省もこれを受けて立ち、四十七年度予算編成の段階では『水道部の設置』 を要求したわけであった。
結局、四十七年度予算編成上は、厚生省当局はじめ日水協、全簡協の関係団体の自民党三役を中心とした果敢な運動もむなしく、『水道部』は認められずに終ってしまった。
明けて四十八年度予算編成では再度この水道部の設置を重点項目として取上げて要求。ただ、厚生省としては、前年、水道部設置という単独要求が陽の目をみなかったという苦い経験があったこと、さらに、産業廃棄物の処理が社会問題化していることにかんがみ、水道と産業廃棄物の施設整備を計画的に推進、これに対応して行政体制を強化、拡充するために水道と廃棄物を一本とした①計画課、②水道整備、③環境整備の三課からなる〝水道環境整備部〟の設置を要求したわけである。
厚生省のこの要求にそって、日水協、全簡協も支援運動を展開したわけである。しかし、両団体とも、〝水道行政の強化〟という建前のもとに政府、ならびに自民党三役に対しては『水道部』ということで陳情に臨んだわけであった。
事務折衝の段階では、ビルト・アンド・スクラップという厳しい状況のもとで認められずに終ったが、政治折衝の段階では、水道界の願望がかない、遂に、水道環境部の設置が決ったわけである。この裏には、厚生省当局の働きかけもあったが、日水協、全簡協の自民党筋への運動も見逃すことはできまい。
そして部設置が決った直後、厚生省は、部の名称を『水道環境部』として厚生省設置法の一部改正案を国会に提出したわけである。(中略)九月二十六日、遂に継続審議となって、発足は今年に持越されてしまったわけである。
今国会では、二月二十二日に参院本会議を通過、三月十九日の衆院本会議で可決、成立をみ、公布即日施行ということで、さる三月二十二日の閣議では、発足日を四月十五日と決定したわけである。(原文ママ)

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