昭和40年代、住宅事業は徐々に緩和されていきましたが、都会での住宅難は大変なものでした。当時は初任給2万円、アパート1畳1000円で4畳半1間の風呂なし――。このような状況下、昭和41年には次のようなニュースが報道されました。
大阪府の豊中市で、違反建築防止に協力するため、今後新増設される違反建築に対しては給水を行なわないという規程を市条例の実施規則で定めようという動きがあり、この措置が適正であるかどうかを大阪府衛生部を通じて厚生省に問い合わせて来ていたが、厚生省は法制局等と打合わせた結果、水道法の解釈としてそこまで拡大することは認められるべきでなく、違反建築についてはあくまでも建築基準法ないしは建築行政の問題として解決をはかるべきであるとの見解をかため、その旨を大阪府に回答するとともに九日、各都道府県に対してその指導方を通達した。しかし、この問題についてはすでに給水申込書提出の際に建築確認書を呈示するといった措置を講じている市町村もかなりあるところから、今後さらに検討を要する問題が残されているようである。(原文ママ)