政府は昭和39年1月の閣議で、1年間公共料金の値上げ抑制策を決定、赤字解消を料金値上げで埋めようとしていた各水道事業体を慌てさせました。「もともと水道料金は届出制であるから各事業体に任せられているはずだが・・・」との声も聞かれましたが、結局ほぼ完全に近く足止めを食うことになりました。しかし、赤字は増す一方で9月頃から各水道事業体は抑制策が解けるのを待たずに値上げに踏み切り、年明けを待って軒並みに値上げ傾向となりました。そして、そのトップが東京都でした。
昭和40年2月8日付の日本水道新聞では、この出来事について次のように報じています。
東京都の扇田水道局長と川原下水道局長は、五日午前十時からの都議会公営企業委員会で、四十年度から水道料金は六四・三%、下水道料金は五一・三%値上げしたいむね説明、これに必要な資料を提示した。水道料金などの適正化が常識化しているときとはいえ公共料金値上げ抑制ムードが依然として根強く動いている段階で東京都が水道料金値上げに踏み切った理由はあいつぐ拡張、建設コスト高によって四十年度以降には巨額の赤字をかかえねばならないためである。地公企制度調査会の中間報告、地公企法の原則からしてやむをえない値上げ案ではあるが、都議会だけでなく、国会方面でも議論を呼ぶのではないかと観測されている。(原文ママ)