連載 水を伝える

日本水道新聞社は2024年で創業70周年を迎えました。本連載では、約70年間にわたる当社の報道について、日本水道新聞、日本下水道新聞の過去の紙面を通じて、印象的な出来事を回顧していきます。70周年という節目を迎えるに当たり、創刊号からこれまでの紙面を振り返ることで、読者の皆さまに当社の報道を通じた上下水道史を伝えるとともに、われわれも歴史の教訓から学び、次の10年に向けて、新たな一歩を踏み出すきっかけとしたいと考えています。

第12回 水質汚濁防止問題と上下水道 本州製紙工場排水事件が切っ掛け

昭和33年_06月16日 日本水道新聞_第0206号

2022年12月02日

昭和 33年6月10日、本州製紙江戸川工場に下流の漁民が大挙、操業停止を求めて陳情に赴き、工場内で警官隊と衝突、乱闘事件に発展しました。この事件は、燻っていた水質公害―公共水域の水質汚濁問題を一挙に表舞台に引き挙げることとなりました。
早速、政府は水質汚濁防止対策要綱を定め、「公共用水域の水質の保全に関する法律」と「工場排水等の規制に関する法律」を立案、12月22日に成立、25日に公布されました。
その過程では、利害を背景とした鋭い対立、議論もありましたが、公共用水は水道や工業用水、あるいは農業用水として利用されるべきものでもあることから、工場排水の水質規制とともに、決め手である下水道の遅れと整備の緊急性をアピールすることにもなりました。この江戸川事件と水質2法の制定によって扉を開いたわが国の公共用水域の水質保全策は、水質審議会、水域指定、水質の環境基準、水質汚濁防止法、環境庁と水質保全局―環境庁(省)へと大きく進展し、国土の水質保全に大きく寄与することとなりました。
一方、決め手としての下水道整備策は渋滞の数年を経て昭和38年制定の生活環境施策整備緊急措置法の一環として、昭和40年1月に第1次下水道整備五ヵ年計画が閣議決定され、国家財政力の向上による国庫補助制度の拡充・強化をバックにまい進することとなりました。
また、水道事業側にとっても水源の汚染、汚濁は重大な問題としてクローズアップされ、昭和33年7月には琵琶湖、淀川水系の水道事業体が団結して 「淀川水質汚濁防止協議会」を結成して運動を展開、江戸川水系、利根川水系、相模川水系、木曽川水系などにおいても同様の組織体を結成し、「水道水源を守れ!!」と訴えましたが、国策としての経済成長策が優先し、昭和45年の『公害国会』で14本の公害対策関連法が成立し、公害問題が国政の中核となって実効化するまで苦渋の時代を経過し、改善されてきたとはいえ、当時においてもその主役たり得ないもどかしさを感じていました。

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