連載 水を伝える

日本水道新聞社は2024年で創業70周年を迎えました。本連載では、約70年間にわたる当社の報道について、日本水道新聞、日本下水道新聞の過去の紙面を通じて、印象的な出来事を回顧していきます。70周年という節目を迎えるに当たり、創刊号からこれまでの紙面を振り返ることで、読者の皆さまに当社の報道を通じた上下水道史を伝えるとともに、われわれも歴史の教訓から学び、次の10年に向けて、新たな一歩を踏み出すきっかけとしたいと考えています。

第9回 北大に初の衛生工学科 林-丹保の布陣で

昭和31年_11月01日 日本水道新聞_第0123号

2022年10月21日

昭和32(1957)年4月、わが国初の衛生工学科が北海道大学工学部に設置され、15名が入学しました。定員15名4講座編成とし、毎年1講座ずつ増やすこととして、まず第1講座(上水工学)が林猛雄教授、丹保憲仁講師の布陣でスタートを切りました。

昭和36年3月に第1期生が卒業、社会に出て以来、①上水工学②下水工学③水質工学④衛生設備工学の4講座で学び、卒業して国内外で活躍している技術系の人材数は相当数で、官界、上下水道事業体、民間・研究機関等に満遍なく浸透し、大学別に見た場合、上下水道技術界でトップを占めるまでに至っています。

その象徴的教育者は、北大総長を6年間務めた後、平成13~19年に放送大学学長、IWA会長を務めるなど国際的にも著名な丹保憲仁氏であり、その指導力や量・質の人材群を称して、「丹保技術軍団 (北の家族)」と話す人もいるほどでした。

この北大衛生工学科を追うように、 昭和33年に京都大学工学部に衛生工学科、昭和34年に東京大学工学部に都市工学科ができて、上下水道工学系技術者の教育体制が整いました。その他の公立、私立大学の工学・土木部にも相前後して衛生・都市工学講座が続々誕生、環境工学が工学部の花形となったのは、日本経済の高度経済成長と反比例するかのように起こってきた公害問題発生という外的要因も見逃すことができません。

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