明治23(1890)年2月に交付された17 条からなるカタカナ表現の水道条例は、いわば19世紀的な水道観に基づいたものであったため、戦後の復興・建設・拡張に対応した改正が叫ばれていました。この中、国会・政党も絡んだ改正案作成作業が2度も具体化しましたが、厚生省と建設省の共管行政のため、その主導権をめぐって厳しく対立し、宙に浮いた形で数年が経過しました。
このうちに、通産省が産業用水道を掲げて参入してきたため、三つ巴の様相を呈し、3省共管の水道法構想も出る始末でした。各事業の主体である地方公共団体は迷惑、困難を極め、学識経験者や国会議員も含めて強い批判となって表面化したことから、昭和32年1月18日、石橋湛山内閣で「水道行政3分割」が閣議決定し、これを境にそれぞれ法律や制度の面の改正、拡充が図られ、20世紀後半の行政、事業発展に対処する体制が整いました。
昭和32(1957)年3月25日、厚生省はトップを切って、新しい水道法案を国会に出し、順調な審議を経て、5月19日に可決成立、6月15日に交付、12月14日に施行され、水道法時代の第1歩を踏み出しました。以降、何回か一部改正が行われて拡充されてきましたが、 原型はこの32年制定の法思想であり、法体制でした。その基本は「水道の敷設及びその管理を適正かつ合理的ならしめるとともに、水道事業を保護育成することによって、清浄にして豊富、低廉な水の供給を図り、もって公衆衛生の向上と生活環境の改善に寄与する」との目的によく明示されており、この水道法が、施設の敷設・管理法であり、清浄・豊富・低廉の三原則とするものであることを内外に宣言したものとなっています。
また、水道事業は認可制、その認可基準、水道料金は届出制、簡易水道の明確化、水道技術管理者制度の導入などが盛り込まれ、水道の普及・促進、あるいは高普及、高度化等に機能し、国民の健康増進や生活の向上、経済活動、つまりわが国の近代化を力強く支え、推進しました。これは、行政、水道事業体、国民等の広汎にして強い支持、協力によるものでありますが、どちらかといえば、民主的で自由な20世紀後半の水道の基本法として評価されました。
日本水道新聞社は2024年で創業70周年を迎えました。本連載では、約70年間にわたる当社の報道について、日本水道新聞、日本下水道新聞の過去の紙面を通じて、印象的な出来事を回顧していきます。70周年という節目を迎えるに当たり、創刊号からこれまでの紙面を振り返ることで、読者の皆さまに当社の報道を通じた上下水道史を伝えるとともに、われわれも歴史の教訓から学び、次の10年に向けて、新たな一歩を踏み出すきっかけとしたいと考えています。
第8回 水道条例から新水道法へ 清浄・豊富・低廉の3原則
昭和32年_05月23日 日本水道新聞_第0152号
昭和32年_12月16日 日本水道新聞_第0181号
2022年10月07日
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