第33回

水と棚田

西谷 大
大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立歴史民俗博物館館長
アールー族の棚田
アールー族の棚田

2025年11月4日

中国雲南省の南に、ベトナムと国境を接して、九つの民族が雑居する「者米谷」という場所がある。各民族が高さによって棲み分けて暮らし、棚田で栽培するコメが主食だ。
最も壮大な棚田をつくるのがアールー族で、者米谷の北側斜面の海抜およそ800~1300mに住む。者米谷では、海抜800mを過ぎると、真夏の8月でも気温がぐっと下がり、風が涼しく感じる。それだけでなく、このラインの上に住むか下に住むかでコメ作りにも大きな影響が出る。気温も問題で、海抜800m以上では、二期作が難しくなるのだ。もう一つは水の問題である。
棚田は山の上にあるため、灌漑用水路は同じ高さの川から取水する必要がある。そのため尾根筋を蛇行しながら村まで引かれる用水路は、10km以上になる。写真の棚田も1本の灌漑用水路だけが頼りだ。
当初、この棚田でのコメの生産量は、とても高いのだろうと思った。意外なことに多くの家で、棚田で生産したコメは7~8カ月で食べ尽くしてしまう。村の農地と彼らの年間の仕事の関係を調べていくと、彼らは畑で栽培する野菜類を市で販売して現金収入にしている。足りないコメは、野菜を売ったお金で買っていたのだ。彼らはコメの収量を上げるために原生林を切り開き、利用できる場所は全て水田にした結果、山全体を棚田にしてしまった。しかし、皮肉なことにコメの自給はままならない。
それにしても、アールー族の棚田は美しい。それは日本の棚田百選を選ぶ一つの基準である「さまざまな形の水田が集まる美しい景観」という水田の造形的な美しさだけではない。この棚田には尾根の斜面という条件の悪い場所で、水を効率よく使い水田面積を確保する、人々の必死の知恵が結集している。ここで今を生きる人々と自然との関わりが、棚田を通じて生き生きと見えてくる。だからこそ美しい輝きを放っているように思う。

西谷 大 にしたに・まさる

西谷 大

にしたに・まさる

大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立歴史民俗博物館館長。1984年熊本大学文学部史学科卒業。その後、1987年中華人民共和国天津師範大学普通進修生修了、1989年中華人民共和国中山大学人類学系高級進修生修了。専門は東アジア人類史。1989年国立歴史民俗博物館考古研究部助手、その後、大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立歴史民俗博物館研究部助教授、准教授を経て、2012年同博物館研究部教授。2020年より現職。
大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立歴史民俗博物館館長 https://www.rekihaku.ac.jp/

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